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サイコ・フィジカルからセルフへ

" アレクサンダー・テクニーク "

2019年8月17日

 

アレクサンダー・テクニークを学んでいると心と体が不可分であるという考え方が出てきます。

 

英語ではサイコ・フィジカル(Psycho-Physical)という言葉で、サイコ(精神的)とフィジカル(身体的)の合成語です。

 

アレクサンダー・テクニーク周辺の人はこれをアレクサンダー本人のオリジナルと考えてしまいがちですが、実はそんなことはないようです。

 

1892年、米国で『サイコ・フィジカル カルチャー』という本が出版されています。

 

ジュリア・トーマスとアニー・トーマスというデルサルト系のレッスンをしていた姉妹によって書かれました。

 

中身を見ると体を動かすエクササイズが多く書かれているので、フィジカル・カルチャー(体育)をもじったことも推測されますが、あくまでもサイコ(精神的)とフィジカル(身体的)が分けられないとしたデルサルトの考え方を踏まえたものです。

 

Psycho-Physical Culture

 

1892年といえばアレクサンダーは23歳でまだアレクサンダー・テクニークを見出す前、声の不調にみまわれていた頃でした。

 

もともと西洋の近代科学は17世紀のデカルトによる心身二元論を採用するのが主流です。

 

医学の対象ももっぱら身体で、精神科領域は19世紀を通じて形成途上にあったもののまだまだよちよち歩きでした。

 

そういう中で、デルサルト系の人たちを含め一部では精神と肉体を分けられないものと考えて、それをサイコ・フィジカルと表現していたようです。

 

この本をひもとくとボディ、マインド、ソウル、メンタルといった現在のボディワーク界隈で使われる概念装置がすでに用意されていたことが分かります。

 

おそらくサイコ・フィジカルという言葉は当時わりと通用していたと思われ、アレクサンダーが1冊目の著書(1910年)を書いた時、この言葉の意味を特に説明していません。

 

アレクサンダーがデルサルト系やその他の人たちからサイコ・フィジカルという概念を受け継いだのはほぼ間違いないことでしょう。

 

しかしアレクサンダー本人はこの表現に満足していなかったのではと僕は思います。

 

2冊目の本を書いた時(1923年)には自分にとってのサイコ・フィジカルの意味をくどくどと説明するようになっているからです。

 

1892年のトーマス姉妹の本にはこう書かれています。

 

“Mind and body should be viewed as the two well-fitting halves of a perfect whole”(前掲書p.3)

 

「マインドとボディは完全な全体の中の2つのよく合う半々のものとして見なされるべきです。」

 

ここにはまだデカルト由来の二元論の物の見方が色濃く出ていて、2つを合体させれば1つの全体ができるという前提があります。

 

ばらばらのものを組み合わせて1つの調和した全体を作ることができる、人間を含む生物においてもそれが可能だ、というのは実際には無理な話です。

 

無理であるにも関わらずそれを前提としたモデルでものごとを見るのはおかしいのではないか。

 

特に問題が自分自身のことになった場合、当事者が自分で自分のことを二元論モデルで認識するのはどうしたら可能なのか?

 

そう思った時、2つの別のものあるという前提から自分という存在を見ることがもはや不可能になります。

 

しかし、流通している言語にはこれを表す適切な言葉がありません。

 

アレクサンダーはこの点にチャレンジして、このような単一性と全体性を一発で言い表せる言葉を模索していたように思います。

 

サイコ・フィジカルと並んで彼が用いた言葉にセルフ(self)があります。

 

セルフ・サービスとかのセルフと同じあれです。

 

アレクサンダーは当初、サイコ・フィジカル セルフ(psycho-physical self)というようにこの言葉を使いました。

 

精神的身体的自己、というわけです。

 

こう言うことで、サイコでもフィジカルでもあるような自分という存在全体を表そうとしたように思います。

 

1冊目の著書でこの言葉を使ったのは2回。

 

2冊目の著書では10回に増えます。

 

おそらくアレクサンダーの頭の中では「精神的身体的自己」という分割不能な1単語ですが、言葉の構造上、精神的と身体的と自己という3つの概念の組み合わせであり、19世紀末のトーマス姉妹と同じ轍を踏んでいます。

 

最初から1つのものとしか認識できないなら、それを表す言葉もそのものずばりに該当する1つの言葉であるのが理想です。

 

でもそのものずばりの言葉がないならどうするか。

 

これに無理やり解決を図るのが3冊目の著書『ザ ユーズ オブ ザ セルフ(The Use of the Self)』(1932年)です。

 

この本ではサイコ・フィジカル セルフという言葉を1度も言わず、代わりに書名からして「ザ セルフ」と言い切りました。

 

セルフという言葉の一般的な使い方では全然ありませんが、これ以外に言いようがなかったのでしょう。

 

今日流通している言葉でものごとを説明する必要上、われわれは「心と体は不可分でして」などと、心と体を分けて言いながら同時に不可分ですと矛盾した言い回しをしています。

 

言葉の上でその概念を知ることと、本気で能動的にそう認識することはまったく別の話です。

 

アレクサンダー・テクニークを使う場合には、本気で能動的にそう認識することが必要になってきます。

 

でないと、たとえば楽器の演奏にアレクサンダー・テクニークを使った場合とそうでない場合でどちらがやりたい音楽に近づけるか比較して選び取るのに、比較しうる実験として成立しないのです。

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この記事を書いた人

2016年、東京練馬区の江古田にてbodytune鍼灸マッサージ院を開業。

鍼灸師、マッサージ師。アレクサンダー・テクニーク教師。

 

カテゴリー: アレクサンダー・テクニーク. タグ: .
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