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bodytune(ボディチューン)音楽家のための鍼灸

期待されている(と自分が感じている)役割を演じることの愚

" アレクサンダー・テクニーク "

2020年2月17日

英国のアレクサンダー・テクニーク教師、ピーター・ノブズの本 “Mindfulness in 3D” の翻訳を進めています。

 

ちょっと面白いと思ったところをつまみ食い。

 

ピーターはアレクサンダー・テクニークに出会うまでは自分の体について常に気づいていて、学び始めてから体に気づかない術を知ったと書いています。

 

ふつう逆ですね。

 

ふつうはアレクサンダー・テクニークを習い始めてから「気づき」とか「アウェアネス」とか言い始めます。

 

以前のピーターが体について気づいていたというのは、かっこ良く見えるように歩き方を変えてみたり、姿勢を工夫したりというようなことでした。

 

僕がアレクサンダーを学び始めた時も、アレクサンダー的に良く見えるように歩き方を変えてみたり、姿勢を工夫したりしてました。

 

一緒じゃないですか!

 

「かっこ良く見えるように」も「アレクサンダー的に良く見えるように」も。

 

ピーターはあっさりとそこを見抜いています。

 

これは「レッスン」という形態で、「先生と生徒」という立場設定で、「アレクサンダー・テクニークを学ぶ」という目的でいたら、必ず落っこちる陥凹ではないでしょうか?

 

「ワーク」という言葉にしても、先生から生徒へ「働きかける」とか、先生が手を使って生徒を動かすことで出来上がった「作品」のニュアンスがありますし(実際にアレクサンダー本人が “manipulate” と書いています)。

 

これでは信じる対象を変えただけで、他人の目を基準に自分のふるまいを決めている点は変わりません。

 

アレクサンダー・テクニークのうたい文句で「ありのままのその人でいられるように」みたいのがあるじゃないですか。

 

これってレッスンで人から教えられたり、手でマニピュレートされてやるもんですかね。

 

期待されている(と自分が感じている)役割を演じることは、もっともやらんでもいいことなのに?

 

ピーターはちょっと意地悪くこう書いています。

 

「ネコってそんなこと気にしないし、でも素晴らしい動きするよね。」

 

ようやく3章まで訳し終わりました。

この記事を書いた人

2016年、東京都練馬区の江古田にて音楽家専門の鍼灸治療院を始める。

2021年、東京都品川区の鍼灸院「はりきゅうルーム カポス」に移籍。音楽家専門の鍼灸を開拓し続ける。

はり師|きゅう師|アレクサンダー・テクニーク教師

 

カテゴリー: アレクサンダー・テクニーク. タグ: .
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