症例
症例11 ピアニストの腱鞘炎
症状:
左手に負担がかかるプログラムの準備をしていて、左の指が動かしづらくなってきた。
特に、親指が内転したまま開けなくなることがたまに起こるようになった。
整形外科では腱鞘炎と診断され、薬も処方されたが、早く改善したいので来院した。
治療内容と考察:
左肩に著明な硬結があり、左腰部にも強い張りがあった。
また、前腕の伸筋も強く張っている。
左手にかたよった使い方をしていたために、全身の筋トーンがバランスを崩してしまった状態と考えられた。
筋肉はある一定の限度を超えて使うと、疲労がたまってそれ以上動かせなくなる。
筋トーンのバランスがかたよった状態でさらに左手を使い続けると、通常以上に早く疲労し、ある一定の限度も早く訪れる。
今回は、それが左の親指に表れたものと想定した。
まず、全身の代謝をよくするために、伝統的な鍼灸の証にしたがってツボを使った。
次に、アレクサンダー・テクニークのテーブル・ワーク的な手技を用いて、全身の筋トーンのバランスを調整した。
施術後に、実際のピアノの動きを模して5分ほど左手を動かしてもらったが、親指が内転したまま開けなくなる症状は現れなくなった。
弾きながら、筋トーンのバランスの崩れに気づいてうまく散らせられるようになると、もっと長時間の演奏にも耐えられ、故障しにくくなると思われる。
使用した主なツボ:
中脘、天枢、関元、肝兪、腎兪、曲池
症例10 マッサージ師の腰痛
症状:
毎日、仕事で長時間マッサージをしている。
最近は疲労がたまりやすく、以前からもっている腰痛や肩こりが取れなくなってきた。
治療内容と考察:
腰の筋肉が強く張っていて、足の内くるぶしの前下あたりも硬く張っていた。
疲れがたまっていることから、全身の代謝をよくして疲労物質も早く抜けるよう、伝統的な鍼灸の証にしたがうツボを使った。
あわせて、特に足について、アレクサンダー・テクニークのテーブル・ワーク的な手技を用いて、関節のところの力みが抜けるように動かしてリラックスしてもらった。
腰痛の原因は、足から来ていることが多い。
多くは、足の筋肉の力みが取れないままに歩いたりすることで、上半身が無理な体勢となり、腰痛となって表れる。
施術中に眠りに落ちてしまうくらいリラックスして、足の力も抜けた。
もともと少しきつめであった腰椎の前弯が、施術後はやわらいで、腰痛も軽くなった。
使用した主なツボ:
復溜、尺沢、太渓、肺兪、腎兪、Th1夾脊
症例9 左薬指・小指の急性のしびれ
症状:
前日に、床に拡げた紙に書く作業を3時間ほどしていた。
長時間、左手で体を支えて下向きの姿勢でいたせいか、左薬指と小指にしびれが出た。
もともと慢性的に肩こりがある。
治療内容と考察:
首から肩背部、腰部にかけて強い張りがあり、また、膝から下の外側面も強く張っていた。
長時間下向きの姿勢で作業したことで、頚椎から胸椎にかけてこり固まってしまい、この固めがあるために腕の力が抜け切らない状態になっていると考えられた。
まず、肩周りから腕にかけての力みを抜くために、アレクサンダー・テクニークのテーブル・ワーク的な手技を行う。
それでも取れない首から肩背部のコリについて、頚椎から胸椎にかけての動きを良くすることで改善できると考えて、対応するツボにアプローチした。
結果として、左手のしびれも消失した。
使用した主なツボ:
C7夾脊
症例8 ヴィオラ奏者の左肩の頑固なコリ
症状:
ずっと以前から演奏にともなう首・肩のコリや痛みには悩まされていた。
整体やマッサージでも取り切れないことがあり、今回は鍼灸を試してみようと思い来院。
治療内容と考察:
肘から親指にかけて、また、首から肩背部、腰部にかけて強い張りがある。
特に左の肩甲骨の上と腰に著明な硬結があった。
ヴァイオリンやヴィオラでは、楽器を支えるために胸椎を固定して腕を動かすことが多く、そのために首や肩など他の部位に負担がかかる。
まず、脊椎の回旋の可動性を回復し、次に、それでも残っている局所の硬結にアプローチした。
使用した主なツボ:
大椎、Th5夾脊、腎兪(L)、肩井(L)
症例7 逆子の治療
症状:
妊娠31週目。
10日ほど前の検診で逆子が分かり、医師から鍼灸を勧められて来院。
治療内容と考察:
肘から肩にかけての動きにやや固さがあり、足先に冷えがあった。
胴体上部にかけての筋・筋膜系の緊張が腹部に反映し、子宮内で赤ちゃんが動きづらい状況を作ってしまっていると考えられた。
まず、アレクサンダー・テクニークのテーブル・ワーク的な手技を用いて腕から肩にかけての力みを抜き、リラックスしてもらった。
次に、冷えのある足元に血流を呼ぶために至陰、三陰交に灸を、太衝には鍼をした。
結果として、腸骨動脈の血流配分、大腰筋などの緊張度が調整されて、子宮内のテンションが下がり、赤ちゃんが動きやすい環境ができれば逆子は直るとの考え方である。
治療中、お腹の中でぐりんと動いたとの感覚があったとのこと。
治療から1週間後の産科検診でエコーをとったところ、逆子が直っていたことが確認できた。
使用した主なツボ:
至陰、三陰交、太衝
症例6 マウス・クリックによる首・肩の痛み
症状:
仕事柄、パソコン作業が多い。
2台のモニターを見ながら、1日中マウスでクリック動作を繰り返していて、斜めの姿勢になることから首から肩にかけて慢性的にコリや痛みがある。
ひどい時は、左側の腰にも痛みが出て、いすから立ち上がると左ももの裏にしびれが走ってしばらく動けない。
治療内容と考察:
首から肩、腰部にかけて非常に強い張りがあり、上腕二頭筋も硬さが抜けない状態にあった。
また、臀部に圧痛があり、もも裏も張っていて、硬いコリがある。
もともと学生時代からスポーツをしていたということで、発達した良い筋肉をしているが、仕事で動かない生活になったために姿勢維持のために骨格を柔らかく使うやり方を体が忘れてしまったように見受けられた。
いすに座っての姿勢維持には脊椎の動きが重要で、仕事の上でモニターと斜めの角度で座ろうとしたら特に回旋がうまく使える必要がある。
回旋の動きは頚椎から胸椎がメインだが、第1、第2胸椎のあたりで動きがやや少なく、かつ硬結があった。
鍼でこの硬結にアプローチしたところ、ものすごく首が軽くなったとのコメントがあった。
マウス操作(あるいはキーボード作業も同様だが)では、机の上でわずかに腕を浮かせている必要がある。
そのため、上腕二頭筋などの腕の筋肉が疲労して、支えきれなくなると、より体幹の肩甲間部を寄せて背中側で腕を支えようとする。
この影響が脊椎の回旋を制限していたために、斜めの姿勢に無理がかかり、首・肩の痛みとして表れていたと考える。
治療で回旋制限を解除すると、体が本来の動きを取り戻して、とたんに痛みも取れたのだろう。
使用した主なツボ:
陶道
症例5 背中の湿疹
症状:
学生時代から背中に湿疹ができ始めて、だんだん悪化してきている。
ストレスと関係して、食事や睡眠など生活が不規則になると分かりやすく広がってきて、頭やおでこまで達することもある。
ステロイド剤がよく効いていて、塗るとおさまるが、量が次第に増えているのが気になっていて鍼灸を受診した。
治療内容と考察:
背中一面に熱感がこもっており、ただし、そのわりにお腹の中や足は冷えていた。
根底に体質的な問題がからんでいると考えて、古典的なツボを使って局所にとどまっている熱と冷えがうまく循環するようにした。
合わせて、アレクサンダー・テクニークのテーブル・ワーク的な手技を行って、手足の関節の動きも調整した。
途中から爆睡してしまい(本人いわく、外で寝落ちするのは本当に珍しいとのこと)、目覚めると、治療前は冷えていた足に温かさが戻ってきて、背中の掻痒感や熱感もだいぶおさまったとのコメントを得る。
ストレスによる緊張状態が続いて、体温、血流、代謝産物などもろもろの流れが滞っていたのを、鍼と手技で流れやすくすることで症状が改善した例と考える。
使用した主なツボ:
太白、太淵、肺兪、脾兪
症例4 風邪による声枯れ
症状:
1週間前に風邪をひいた。
熱はなかったが、症状が喉に出てかなり痰がからんだ。
処方薬でかなり症状は軽くなったが、声が出しづらい状況が続いている。
治療内容と考察:
左の脊柱起立筋から首にかけて強い張りがあり、また、左顎関節下にコリがあった。
これと裏腹に右のふくらはぎに硬いコリもあり、喉周りは両方の胸鎖乳突筋や舌骨筋群がやや緊張気味。
風邪がきっかけということで、まずは体をじゅうぶんに温めて体力の回復を促し、合わせて声帯に負担をかけている筋・筋膜系のテンションを調整する治療をした。
また、頭と首・喉の位置関係がより負担のないところに自動的に調整されるよう、脊椎の柔軟な動きを回復する治療をした。
風邪については、既に回復基調だったこともあずかって、1週間をおいて2回の治療で声の調子がおおむね回復し治療終了とした。
使用した主なツボ:
Th4夾脊、瘂門、天柱、翳風、天突、傍廉泉、承筋(R)
症例3 頭痛をともなう突発的な聴力の低下
症状:
2か月ほど前に狭いところで金管楽器のそばで演奏する仕事があり、以来、体調が悪くなると右耳の聞こえ方がおかしい。
まったく聞こえないということはないが、周囲が騒がしいところで会話する時に右では聞き取りにくい。
これにともなって、右の首の後ろから後頭部にかけても痛みがある。
治療内容と考察:
触診してみると、右の肩や背中から首にかけて強い張りがあり、右足の土踏まずの内側にも強い圧痛をともなうコリがあった。
頭蓋骨と首の境目に沿ってコリを探りながら鍼をしていくと、膜が晴れるように耳閉感が取れ、聞こえ方も変わってきた。
同時に頭痛についてもだいぶ軽くなったとのコメントを得る。
その後、時間を置いて、聞こえ方は完全に回復したことを確認。
音を感じる聴覚器官は頭蓋骨の中に埋まっているが、頭や首の筋肉、鼻や喉の奥からは膜や耳管を介してつながっている。
そのため、頭や顔面、首で強い緊張状態が続くと、耳の内部の血液やリンパの流れ、圧力にも変化をもたらし、聞こえ方に影響を与えると考えられる。
疲れによる身体の緊張がとりわけ右側に強く表れ、右耳の聴力低下を招いていたと考えられるが、筋緊張を解く治療をすることで聞こえ方も回復した。
使用した主なツボ:
C7夾脊、風池、天柱、完骨(R)、聴会(R)、公孫(R)
症例2 トランペット奏者の肩の痛み
症状:
数か月前から右肩に違和感があり、右腕を上げづらい状態が続いている。胸鎖関節にごりごりとした違和感があり、ひどい時には腕を肩の高さくらいまでしか上げられず無理に上げようとすると痛む。楽器の構えにも影響があり、左右で高さがずれるので右を肩ごと引き上げるなどして対応しているが、リハーサルが長時間になると背中から腰、ひどいと足にまで痛みが出る。
治療内容と考察:
来院した時点で比較的自由に腕を上げられる状態で(耳の付近まで上げられる)、肩甲上腕関節周囲の痛み、腫れや熱感もなかったため、いわゆる五十肩の可能性は暫定的に除外。そのうえで、楽器をかまえる体勢をとってもらったところ、やはり右肩を上げて左右のバランスを取ろうとする動きが見て取れた。
おそらくであるが、何らかの原因により数か月前に右の胸鎖関節に痛みを生じたのが始まりで、その痛みが出ないようにする代償動作を取るようになった。しばらくそうした動きを継続すると体は自然にその動作を覚えてしまう。ある程度痛みがおさまってその必要性がうすれても代償動作を取り続けてしまうことはよくあり、現在の背中、腰や足の痛みは代償動作によりかえって体を固めてしまった結果の可能性がある。
以上のように考えて、痛みを生じないよう細心の注意をはらいながら繊細に他動運動を行うことで現在の腕の可動性を再認識してもらい、鍼では脊椎と腰部へアプローチして筋肉のこりを解消するよう努めた。
治療後、再度楽器をかまえる動きをとってもらったところ、左右の高さがそろい無理に右肩を上げる動きはなくなった。
使用した主なツボ:
肝兪、腎兪、C7夾脊
症例1 大型木管奏者の頭痛と腕のだるさ
症状:
数週間前に右後頚部の筋肉が突然つった(きっかけとなった動作は覚えていない)。それ以降、朝起きる時に寝違えたような感覚が残り、右腕が常時なんとなくだるく、右手のキー操作がやりづらい状態が続いている。また、後頭部痛(右)がある。
治療内容と考察:
バリトン・サックスやファゴットなど大型木管楽器は楽器を斜めにかまえるため左右のバランスがとりづらい。重さはストラップ経由で首にかかるが、楽器のかまえは右により重さがかかるため、右側の首から肩、腕にかけて緊張した状態になりやすい。さらに複雑なキー操作も要求される。
演奏動作でつちかわれた筋緊張は演奏を離れてもすぐには抜くことが難しい。筋緊張が慢性化すると血流に影響を及ぼしたり、神経を圧迫したりして、痛みやだるさといった症状を引き起こす。触診の結果からも、右側の肩甲挙筋、胸鎖乳突筋、斜角筋、前腕伸筋群等の緊張がみてとれた。
本来、重さは脊椎が担うことで腕はかまえの位置修正やキー操作に専念できた方が、より効率的な身体の使い方ができる。そのためには楽器の微妙な重心移動に対応できる脊椎の可動性(回旋の動きなど)を回復しつつ、脊椎から肩甲骨、腕に向かう筋肉のテンションを最適化する必要がある。
本症例では、胸鎖乳突筋、後頚部、肩甲間部を中心としてアプローチした結果、頭痛も腕のだるさも著しく軽減できた。
使用した主なツボ:
天容R、風池R、天柱R、三陽絡R、膏肓、腎兪、T5夾脊、T7夾脊