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夏を終えたきみに

" 旧bodytuneブログの記事 "

2016年9月5日

(こちらの記事は、2016年11月まで運用していた旧bodytuneサイトのブログ記事を転載したものです)

 

 

気がつくとスズムシの声が聞こえます。日が落ちるとだいぶ涼しくなりました。夏の盛りのあのセミのけたたましさが懐かしく思い出されます。

 

吹奏楽コンクールもほとんどの地区で支部大会が終わったころでしょうか。僕にとってこの支部大会というのは結局越えることのできなかった壁でした。今でこそ楽器をコントラバスに変えてアマオケで弾いている僕ですが、元々の楽器との出会いは中学吹奏楽部でのTubaでした。それはそれは熱烈な吹奏楽オタクで、音楽といえば吹奏楽以外ありえなかったし管弦楽の名曲でも自分の中での決定版はどこそこの学校のコンクール実況録音盤というありさまでした。

 

毎年この時期がくるとそんなかつての自分を痛々しく思い出すと同時に自分が犯したある裏切りについての罪悪感がよみがえるのです。

 

当時その学校は指導に熱心なカリスマ先生が着任したこともあって、コンクールの成績も年を追うごとに地区から県、県から支部と階段を昇っていました。僕が入学したのはカリスマ先生が来てからちょうど3年目、前の年の支部大会通過を僅差で逃し今年は全国に行く!と盛り上がっていた時でした。練習は毎日9時ごろまで、休みもなくかなり厳しかったですが目標がはっきりしていたのと前の年の悔しさを上級生がみな共有していたのでしょう、不満の声は聞かれませんでした。甲斐あってその年は支部を通過し、晴れて全国大会へ。僕は楽器を始めたばかりの初心者でTubaは上級生が何人もいたので初めから選外でしたが、努力は裏切らないことそして来年は自分もあそこで吹いている、という強烈なすりこみを与えられるには十分な体験でした。

 

ところが、、、

 

翌年の3月、僕が2年生に上がる時に状況が大きく変わります。カリスマ先生が他の学校に異動することになったのです。そして、それまで合唱部の顧問をしていた別の先生が後任として吹奏楽部を引き継ぐことになりました。正直、僕らは合唱部をバカにしていました。年々着実にコンクールで成果を積み上げ、部員も100名を超えていた吹奏楽部と部員数ひとけたで何をしてるのかよく分からないような合唱部。初めから比較にならないしそんなとこの顧問がこっちに来るなんてあり得ないですから、そのくらいに思っていたでしょう。だから、その先生が吹奏楽部を引き継ぐにあたって合唱部が廃部になったことも、まあ1人で2つも見るのは大変だからな、くらいの印象しかありませんでした。

 

お互いを尊重する気持ちがない顧問と生徒の関係はしかし修正されることなくそのまま続きました。合奏中にあからさまにやる気のない態度を取るもの、練習に来なくなるもの、生徒の中でも全国大会出場メンバーになれたものとそうでないものの間で言い争いになったり、いろいろなあつれきが起こりました。そしてそんな状況でも練習の量は以前と変わらず、前顧問の時に来てもらっていたパートごとの外部トレーナーもそのまま継続して、外身だけは全国大会目指す体制が残されていて、まるで壊れた機械がネジが欠けてようが軸が折れてようがおかまいなしに稼働しているような状態でした。僕はといえば先生なんか誰でもどうでもよくてコンクールで勝つことしか考えてなかったので、内心の敬意がまったくないのに表面上は文句も意見もなく先生の棒や指導にしたがっていました。今となっては確認のしようがないですが、先生からしたら数少ないまだ信頼できる方の生徒だったと思います。

 

そしてむかえた3年生の時の支部大会。あの時も土から出遅れたセミがまだ鳴いていました。銀賞、僕にとっての敗北の夏が終わりました。

 

でもまだ部活は引退ではありません。あのころはわりに受験がのんびりしていたのか、いわゆる連盟のコンクールのあと、11月か12月ごろに他の団体主催の大会にも出て3年生は引退でした。こちらの大会は予選がなかったか、あるいはテープ審査でいきなり本会場で演奏だったのでコンクールというより発表会のような雰囲気。いくぶん気楽に参加できたので時期が遅くても出ていたのかもしれません。

 

でも、出ませんでした。僕が終わらせたからです。正確にいうと3年生の一部に受験勉強に専念したいから早く引退したいという声があり、でもそれを直接先生に言いに行くことができなくて、ある程度先生との信頼というかパイプが残っていた僕を通じて言ってもらおうということになったのです。僕はそのころ支部大会の結果に心底がっかりしていて、努力しても報われなかったしもう本当にどうでもいいという心境でした。最後の出番に取り組むという強い気持ちがない代わりに出ないで受験に専念という考えもありませんでした。本当になんのはっきりとした考えもなしになぜか乗ってしまい、先生に話に行ったのです。

 

「下級生がかわいそうですよ」と言われたような気がします。先生の目に光るものがあったような気もします、、、はっきりとは覚えていません。後日、一人だけ後輩の女の子が訪ねてきて「どうして3年生は出ないんですか?」と聞かれたことは覚えています。でもなんと答えたかは忘れました。結局、編成が組めないので部全体として不参加になったと記憶しています。

 

中学を卒業し進学した高校で僕は吹奏楽部には入りませんでした。あれほど自分全部をかけて思いをつめこんだ部室にOBとして再訪することも、今日までのところ一度もしていません。

 

今になって卒業アルバムを見返してみると先生が若かったことに驚きます。20代半ばくらいに見えます。こっちも14や15なんですごく上に思っていたけど今の自分は当時の先生よりずっと年上になってしまいました。そして合唱部が廃部になったのは人数が少ないから、というのもウソだと分かります。もっと少ない人数の部活がしっかり残ってるからです。音楽の先生も2人いました。あまり考えないようにしていましたがその2人ともが吹奏楽部についていました。いろいろ大人の事情があったんだろうな、先生も大変だったね、、、と今なら思いがいたります。

 

音楽に勝ち負けを持ちこむくせを直すにはその後ずいぶん時間がかかりました。あのころのことを直視するのは今でもつらい気持ちがともないます。でも少しずつ見えるものは増えてきました。お互い自分は不幸だという思いをもって顧問と生徒という関係に入ってしまったけど、先生の方が少し大人だった分だけ早めに割り切って、僕らがそうしたよりも多くを僕らに与えてくれていました。先生、ありがとうね。うわべだけでなく今ならそう思います。

 

夏を終えたばかりのきみには分からないかもしれないけれど。

この記事を書いた人

2016年、東京都練馬区の江古田にて音楽家専門の鍼灸治療院を始める。

2021年、東京都品川区の鍼灸院「はりきゅうルーム カポス」に移籍。音楽家専門の鍼灸を開拓し続ける。

はり師|きゅう師|アレクサンダー・テクニーク教師

 

カテゴリー: 旧bodytuneブログの記事.
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