音楽家とミュージシャンのための身体メンテナンス(東京都品川区品川駅)
bodytune(ボディチューン)音楽家のための鍼灸

病人をみるな、病気をみよ

" 整動鍼 "

2021年5月21日

「病人をみるな、病気をみよ」とは18世紀フランスの医師たちの言葉だそうです。

 

現代なら「病気をみるな、病人をみよ」が正義です。鍼灸学校でも全人的医療ということを教えられます。鍼灸は主観情報と客観情報をわりといっしょくたに扱うことも多く、もとより「全人的」と言えなくもありません。ともすると病院は検査検査で人を見ない、鍼灸師は人を見て話しに耳を傾けるから患者さんに近くてやさしいと自画自賛するきらいすらあります。

 

病人をみることと病気をみることは果たして対立する両立し得ない概念でしょうか。「病人をみる」は患者さんのつらさを真摯に受けとめることとも言いかえられます。「病気をみる」は患者さんのつらさに関係しそうな兆候を観察することと言えます。病院なら検査して数値を確認します。鍼灸院なら触診したり脈や舌をみたりします。

 

実はこの間に一つはさまっているものがあります。健康についての概念です。病院は数値が基準におさまっていれば健康とみなすでしょう。鍼灸院も体の状態や脈、舌について良し悪しの尺度を持っています。指標が違うだけで尺度はどちらにもあります。

 

問題になるのは医療側の尺度が患者さんのつらさとずれているときです。患者さんのつらさは本人の主観的体験ですから共有できません。検査数値が良くなっても、脈や舌の状態が良くなってもつらさが取れないことはざらにあります。このとき「治ってるはず」と思うと「病人をみない」ことになります。

 

しかしいきなり「病人をみる」ことをして患者さんのつらさが消えるでしょうか?

 

医療は必ず介入をともなってなんらかの変化を患者さんに起こすものです。ところが他人が生きている主観的な世界を変えることは本質的に不可能性が高く、実際にできることは客観的に分かる変化を起こすことです。それが薬で血圧を下げるとか、ツボに鍼をして緊張をゆるめることだったりします。そのためには「病気をみる」必要があります。

 

そもそも患者さんが主観的に感じるつらさと医療側の尺度が合致するはずだと思うのが間違いです。そのことに気づかないと無自覚に医療者側の「かくあるべし」を患者さんに押しつけてしまいます。この点は医療の東西で本質的な違いははなく、鍼灸だから「全人的」とか「病人をみる」とはなりません。

 

僕が使っている整動鍼ではねらった変化を再現性をもって体に起こすことをウリにしています。このウリが強調されるあまり「病気をみるな、病人をみよ」を正義とする鍼灸師からは、技術至上主義と思われて警戒されることがあるようです。

 

患者さんが主観的に体験しているつらさをナラティブに寄りそうことで解決できるのならいいですが、現実には人間性、相性、病期、文脈などの不確定要素があり、医療者側が努力してもどうにもならないものも含まれます。だから努力でどうにかなるものとして、整動鍼の特にセミナーでは技術を重視しているのだと思います。されど技術さえあれば全部うまくいくとは考えておらず、ここは方法論的に意図的に選択しているととらえるべきでしょう。

 

僕の見るかぎり整動鍼を採用してうまく使っている人は、患者さんの主観的なつらさと鍼による体の変化をすり合わせるところにもっとも意をはらっています。合わなかったからといって自分の価値観を押しつけません。結局、病人も見ているのですね。

この記事を書いた人

2016年、東京都練馬区の江古田にて音楽家専門の鍼灸治療院を始める。

2021年、東京都品川区の鍼灸院「はりきゅうルーム カポス」に移籍。音楽家専門の鍼灸を開拓し続ける。

はり師|きゅう師|アレクサンダー・テクニーク教師

 

カテゴリー: 整動鍼. タグ: , .
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