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理論家と臨床家の越えられない壁

" 整動鍼 "

2021年7月26日

ルート治療の白川さんと整動鍼の栗原さんの対談を見ました。多鍼と少鍼という見た目上正反対の方法をとるお二人ですが、なぜそれぞれ独自の方法を採用するに至ったかの経緯は似かよっており興味深いお話でした。お二人とも経絡治療などの古典的方法を学んだものの臨床の場でそれを生かせない経験をした、というのが独自路線探求の出発点とのことでした。

 

生かせない経験というのは僕にもあります。もし生かせていたら今のようなやり方(整動鍼)を採用していません。なぜ生かせないのか?生かせる人からしたら「それは下手だから」の一言で終わるかも知れません。しかし実際には、生かせない、学校でかなり勉強したのに使える気がしないという人が相当数いるわけで、生かせない理由をきちんと論理的に検討することも大切ではないかと考えました。ということで今日は古典的鍼灸の理論がはらむ問題を取り上げます。

 

古典的な鍼灸臨床は通常以下のようなプロセスをたどります。

  1. 主訴の聴き取り
  2. 体の状態の確認
  3. 証の決定
  4. 選穴・介入(刺鍼など)
  5. 体の状態の変化の確認
  6. 主訴の変化(消失・軽減)の確認

 

ものごとを改善する基本としてPDCA的な考え方に基づくなら、プロセスをまたぐときの思考にどれだけ論理的蓋然性があるか、また論理を支持するような事実の有無が重要です。蓋然性とは確からしさの程度です。鍼灸には残念ながら、介入から結果までその中間の機序も含めて確実にこうなると分かっていることはほとんどありません。より確かだと論理的に考えられることをやってみるしか方法がないわけです。絶対に確かではないので確からしさの程度で判断する、だから蓋然性です。ただしやみくもにこの方が確かだろうと頭で考えるだけでは机上の空論になってしまいます。現実から離れないためには動かぬアンカーが必要になります。それが客観的事実です。

 

また介入と結果の関係ができるだけシンプルな一対一対応であることが望ましいといえます。Aの結果がBのこともあればCのこともあればDのこともある、というのでは蓋然性は高まりません。Aの結果が(理想的には)常にBであればたとえ機序が分からなくても技術としては十分使えます。

 

これを踏まえて古典の理論を考えるとこう思います。介入と結果の関係性を見るのには不向きだと。古典的な鍼灸では主訴と体の状態を確認して膨大な情報を吸い上げた上で証という抽象概念にまとめます。証が選穴や刺鍼手技など介入方法の選択肢を与えてくれます。つまり古典的鍼灸の介入は証に対してなされるのであって、直接的に主訴や体の状態に向けてなされるわけではありません。しかし証は抽象概念であって客観的事実ではありません。古典的鍼灸において介入と結果の相関を検証するのが難しい理由がここにあります。もしも鍼による介入とその結果だけを拾おうとしたら、種々雑多で膨大な情報で成り立つ証を相手にしていたら難しいのです。

 

僕はルート治療のことは分からないので整動鍼のことで考えます。整動鍼ではまず論理的蓋然性を高めるために鍼をした直前直後の変化をひろっています。また理論が現実から離れないために第三者でも確認可能な客観的事実を追います。具体的には、ある決まった場所(ツボ)に鍼をすると離れた別の(これまた)決まった場所がすぐにゆるむ、というただそれだけです。これが何度やっても再現可能な現象として起こることから理論が構築されています。またこうした反応を引き出せるツボが体にはたくさんあって主訴の解消や軽減に役立つので臨床技術として成立しているわけです。

 

他方で既存の鍼灸が持っていた要素の多くがそぎ落とされているのも事実です。脈診も舌診もしませんし、雀啄(じゃくたく)とか散鍼(さんしん)もやりません。ホーリスティックとか全体性といったイメージからほど遠く窮屈に感じるかも知れません。実際自由ではないとも言えます。また整動鍼では鍼の技術で担保できるのは体の状態の変化までと考えています。主訴の解消ではありません。なぜかと言うと主訴には患者さんの主観が入り(「これ以上腕が上がらない」など客観的に評価可能な主訴もありますが一応)、体の状態が変わってもその変化を患者さんの心がどう認識するかは施術者の側がコントロールできないことだからです。

 

しかしこうした整理があるおかげで、患者さんの主訴が解消しなかった場合に、体の状態に変化がなかったのか、体の状態は変化したが主訴に影響がなかったのかで自分の施術を検証することができます。前者であればツボの位置が間違っていたと考えるし、後者であればねらった体の変化と主訴がミスマッチだったということです。そこまで分かれば次になにをすべきかは明白です。

 

この点、古典的理論では証を決める要素にそもそもの主訴が入ってしまっていたりします。もちろん他の要素も諸々考慮した上で証を決めるのですが、多くの要素が一時に盛られ過ぎていて、自分の施術をどう検証して見直せば良いか考えると難しくないでしょうか。

 

古典の理論は複雑な人体の現象を説明するのによくできています。しかし説明が上手なことと、これからどんな変化を起こせばよいか答えを出すことは別です。すべてがそうだとは言いませんがどうも古典の理論は現象の矛盾ない説明が求められるあまり仮説に仮説を重ねて空中戦成分が多く混ざり込んでいるように思います。僕もそうなので分かりますが理論好きのマニアにとってはたまらなく魅力的です。でも臨床はそれではできないんですよね。要所要所で地に降りて事実に立ち戻る必要があります。

 

正反対のお二人でしたがどちらも徹底した臨床家だったのが印象的でした。対談の動画は7月30日まで視聴できるそうです。

https://twitter.com/kuri_suke/status/1418371990008696839

 

 

この記事を書いた人

2016年、東京都練馬区の江古田にて音楽家専門の鍼灸治療院を始める。

2021年、東京都品川区の鍼灸院「はりきゅうルーム カポス」に移籍。音楽家専門の鍼灸を開拓し続ける。

はり師|きゅう師|アレクサンダー・テクニーク教師

 

カテゴリー: 整動鍼. タグ: , .
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